本を読むのは好きだけど、
インプットばかりではダメだ。
そんなことを神社に行って痛感したお話。
みなさんこんにちは、kyonです。
縣主神社でアート御朱印をいただいて以降、御朱印をいただくのが趣味になっています。
その御朱印をいただくために神社に行ったとき、アウトプットの大切さを痛感しました。
「あ、本を読むだけではダメだ」って。
本で学んだことが全然頭に入っていない。
普段、
「教養を身につけたい」
「人生を豊かにしたい」
とか思って本を読んでいるわけです。
それが何も身についていないなんて!!
インプットするだけでなく、アウトプットもしないといけない。
じゃないと内容が全然頭に入っていない、入ってもすぐ抜けてしまう。
やっぱりアウトプットは大事だ。
そんな体験をしましたので、ブログを書こうと思います。
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そもそも御朱印は、その神社を参拝した証でいただくもの。
なのでもちろん、お賽銭を入れたり拝殿で拝んだりしますよね。
で、「恥をかきたくない」という思いで、参拝する前に一応マナーを確認しておくんです。
手水舎での清め方や拝殿の拝礼の仕方などを本を読んで、「ふむふむ、そうするのか」と予習しておきます。
そんな厳格じゃなくてもいいのでしょうが、最低限のマナーは知っておきたいし、変なこと(?)をやらかすのも恥ずかしいですし。
そしていざ手水舎。
(イメージ図)
…
頭が真っ白になります。
「あれ?左手から洗うんだっけ、それとも右手からだっけ?」
本で手順を確認してたはずなのに…orz。
いや、断片的に覚えてるんです。
「左手が最初」って笑。
その”左手”が、
左手から洗う
なのか
左手に柄杓をもって右手から洗う
なのかどっちだったっけ。
て、なってしまうんです。
まぁ手水舎は、手の洗い方はその場に書いてある場合が多いのでいいのですが。
そして拝殿でお賽銭ですよ。
お賽銭箱の真上には鈴がありますよね。
(イメージ図)
ここでもど忘れ発動。
「あれ?鈴を鳴らすのってお賽銭を入れる前だっけ、入れたあとだっけ?」
手水舎のデジャブ笑。
アガリ症なので、いざ実物を目の前にすると頭が真っ白になるんですよね。
アガリ症は関係ないか笑。
実際は、お賽銭を入れる→鈴を鳴らす→二礼二拍手一礼だそうです。
ちゃんと予習をしてから参拝したのに、学んだことが身についていないことに本番(?)で気づいてガッカリしました。
今まで本を読んで学んだことは、どんどん抜けていっていたのか。
意味なかったのか。
少し落ち込みます。
ただ!
御朱印をいただきに神社をいくつかまわり、何回も繰り返し実践することで、少しずつ作法が馴染んできました。
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そこから学んだこと
得た知識は、すぐ忘れる。
しかし、アウトプットをすると身体に染みついて忘れにくくなる。
学んだことを実践し、修正や微調整を繰り返しながら自分のものにすることができる。
やって効果があったこと
得た情報をアウトプットをする。
そのままなんですけども笑。
今回の神社での参拝方法でいうと、
本で読んだ参拝の手順を
- 頭の中でイメージしてみる
- 紙に書いてみる
- 人に説明してみる
などなど。
読み終わってそのままにしない。
そして、実際に参拝したときにあやふやだったところをまた学ぶ。
この繰り返しでじわじわと体得できるんですよね。
まとめ
ただ漠然と本を読んでいても、何も頭に入っていなくてショックを受けました。
「アウトプットをしないと身につかない」ということを痛感しました。
逆に言うと、「アウトプットをすれば自分のものになる」ということですね。
でもこれに気づけたのは、実際に行動(参拝)したから。
今後は、実際にアウトプットをして学んだことを自分のものにしていこう。
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